聖書の権威に関する宣言



JPCの信仰基準は「旧新約聖書六十六巻が、十全霊感による誤りない神のみことばである」と告白しています。
この告白はJPCの生命線であり、一歩も後退させることはできません。
この「誤りのない」という言葉が何を意味しているかという点をめぐって多くの論争がなされてきましたが、JPCとして、この「誤りのない」をどう理解しているかを明らかにしたいと思います。

I 「誤りのない」とは、聖書が神のみことばであり、それが主張しているすべての点で絶対的権威を持っていることを告白した神学的表現である。

II この「誤りのない」ということは、人間の理性や学問によって検証することができると考えて告白しているものではない。人間理性は、聖書の権威を十分に弁証し、立証し尽くせるものではない。聖書の権威を私たちに究極的に確信させるものは聖霊の内的なあかしである。

III 「誤りのない」という表現において、聖書の内容を信仰的・教理的領域と歴史的・科学的領域とにあえて分け、その一方の領域においてのみ誤りがないことを主張するという立場をとらない。

聖書の理解においてこのように二つの領域に分けることはもともと不可能なことである。聖書はその書かれた目的にそって理解されるなら、それが主張しているすべての事柄において誤りがない。

IV 「誤りのない」ということが不可謬性(Infallibility)を意味するのか無誤性(Inerrancy)を意味するのかという点は、それらの用語の理解にかかっている。

ある人たちは不可謬性を「教理や信仰の領域でのみ真理である」と解釈する。もし不可謬性をそのような意味に解するなら、第III項に照らして、その意味での「不可謬性」の使用は適切ではない。ある人たちは無誤性を「誤りがないことが検証されうる」と解釈する。無誤性をそのように解釈するなら、第II項に照らして、その意味での「無誤性」の使用は適切ではない。従ってこれらの用語を使用するときは注意深く定義してから使うようにすべきである。

V 「誤りのない」という確信と主張は、聖書の正しい解釈を前提とするだけではなく、その解釈と適用への努力をも要請する。

この確信と主張は、聖書の統一性と真理性に堅く立ち厳密な歴史的・文法的解釈をほどこす責任、さらにその今日的意味をも明らかにする責任を私たちに課するものである。

もしこの責任をなおざりにし、その努力を怠るなら、「聖書は誤りのない神のことばである」との信仰告白は有名無実になり、空文化するであろう。

一九八七年二月五日 日本プロテスタント聖書信仰同盟 
 

JPC信仰基準

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